カオス*ラウンジ2010宣言文の解体文

黒瀬陽平「カオス*ラウンジ宣言」
[ http://aar.art-it.asia/u/admin_edit1/1Nztk67sP3ZvIjUiWOLd ]
[ http://www.youtube.com/watch?v=HpueFRzx0PY ]


<嘘の宣言文>


ゼロ年代と呼ばれたこの十年、日本のアートは何も生み出さなかった。
今、私たちの目の前に広がっているのは、アメリカやヨーロッパの真似をしただけのアートフェア(「アート」の売り買いをする場所)の乱立によって作られた、ありもしない表面上だけの美術品の取引き、助成金をもりもり消費してる慈善事業だけなのよね。
これは、ゼロ年代のはじまりに突きつけられた、日本のアートについての問い(「日本ゼロ年」、「オタク」、「スーパーフラット」……とはなにか、これからどうするのか)を徹底的に無化することによって成立している。
ゼロ年代に入って、ますます私たちの生活を変えてきた情報化が、なんとアートにおいては、日本と世界の格差を埋めるものというような、きわめて楽観的な解釈になっている。
日本のアートは現実的な文化であることをやめてしまった。
アーティストたちは「情報」ってものを無視して、私たちにとってナマな文化の営みに身を晒さない。根拠のないアートの神秘性(アートは崇高だ、みたいなね)によって身分を保障されると同時に、小器用な職人として囲い込まれている。
戦後、歴史らしい歴史がない「悪い場所」と評された日本は、また閉じてしまった。



ゼロ年代の間、CHAOS*LOUNGEは地上に姿を現さなかった。(っていうかここではCHAOS*LOUNGE的表現活動-カオスラウンジに参加しているようなネットで活動をする表現者、と注釈しておこう)
なぜなら地上は、本当は焼け野原であることを知っていたからだ。
Google、2ch、mixiFlickrYouTubeニコニコ動画TwitterTumblr……、CHAOS*LOUNGEはネットの中で、主にアーキテクチャ(構造体、つまり私たちの作っているネットワークを建築のようにたとえてるわけね)と呼ばれる基盤の変化と共に存在していた。
そこは常に、膨大に、名もなき想像力がうずまき、作品未満の作品、コンテンツ(内容そのもの、音声や文章やいろんなものによってつくられる創作のこと)未満のコンテンツが現れては消える場所であり、
にもかかわらず、「自分が作っていけるんだ!」ということに目覚めたいろんな種類の人やモノが集まる場所である。




増殖を続けるアーキテクチャは、アートの神秘性を認めない。(ネットの方が現実的だもんね)
そこでは、すべてが表に見えるようになり、分類され、操作可能となる。(こりゃすごいことなのよ)
(全体を見ると)内面などない。知性も感性も、すべてはアーキテクチャ上で、自動的に組み立てられてゆく。
人間の内面は、アーキテクチャによる工学的(真理を求めるんじゃなくて有効性重視の)介入によって霧のように曖昧なものになる。



CHAOS*LOUNGEから生まれたアーティストは、それでもなお、引きこもりっぱなしだった。なぜなら、地上で生み出されているものはアートではないと知っていたからだ。
私たちは、ネットの構造体によって生成されているコミュニケーションだとかの原理を、無意識にも一度は徹底的に受け入れる。アートに神秘性などない。人間の知性も感性も内面も、すべては工学的に記述可能である。



しかし、私たちは、アーキテクチャによる工学的介入の結果に対し、さらに人為的に介入を試みるのである。
私たちは、アーキテクチャによって、自動的に吐き出される演算結果(結果としてpixivとかtwitterではどうなっちゃってるのか)を収集する。そして、自らがひとつのアーキテクチャとなって、新たな演算(なんとなく思ったことのアウトプット)を開始するのだ。



CHAOS*LOUNGEは今、ようやく、ここに姿を現す。
単なる「情報」でも「物」でもない(むしろ情報とか物とかいう考え方を超える!)、アーキテクチャ時代のアート、すなわち、一〇年代のアートとして。



ってことで。うん。
これはつまり客観的に見て、アート方面とか(二次含む)創作活動でpixivとかtwitterで今活動している人は今どんなんなってるの?ってことを解説して、それが新しい可能性として今世界に公開されようとしているよってことを宣言しているのですよ。


言いたいことは要約するとつまり
「今日本でのアートは残念ながら別次元に思えるものが多くて、それって私たちにとって現実的じゃないじゃん、pixivで絵描いたりしてる人にはtwitterとかニコニコの方が全然現実的で、こっちの世界でのコミュニケーションのがリアルなのよ。私たちがアートじゃないわけがないでしょぷー」
ということで。


「アートとかいって意味分かんね」って人もいると思いますが、私も全く同じです。意味分かんないアートやってる人は今いっぱいいる。つまらないものが多い。
別にそんなの気にしなくてもいいんですが、「美術館とかギャラリーにおいてある作品の方が、ニコニコのMADとかイラストより面白いし崇高だよね〜」って言われたら「ん?」ってなるでしょ?そんなの間違いでしょ?
私自身は私の感じるリアルとか、私の今触れている面白さをもっと伝えたい。


じゃあカオス*ラウンジに出展する人は何を考えればいいの?
答えは、何も考えなくてもいいってこと。自分のやりたいことをとにかくつき通して、自分の満足いく作品をいつも通り全力でぶつけて欲しいってこと。
こんな難しいこと言われても分かんないよ!って人は評論みたいな理屈でできた"だんご"みたいなのは気にしなくて結構です。私たちがいつも適当にやってるようなことを丁寧に説明した文章のようなものですから。
楽しくいきましょう。恐れることはない。

もちろん、新しい時代のアートなのかおもしれーっっ!て人は是非協力してください。
私も勉強の身ですから、色々探っていきましょう。


そゆことです。祭りを盛り上げる、ぞーー。