ポップンから辿る音ゲーと”版権曲”

こんばんは。
3つの記事に渡ってポスト渋谷系音ゲー楽曲などについて書いてきましたが、少し休憩として以下のブログを紹介して、その一部への応答として記事を書いてみました。


>たにみやんアーカイブ「(主にゼロ年代前半の)音ゲーとJ-POPの繋がりを探る」
http://magamo.opal.ne.jp/blog/?p=2775


「マクロ視点」から音ゲーと邦楽を扱ったこの記事では、いい感じに音ゲーのそもそものお話を補強してくれています。
気づく人は気づいていると思うのですが、私は音ゲーといえどもあくまでKONAMIBEMANIシリーズ、そしてpop’n musicを中心として考察を続けてきました。例えばゲーム音楽でポスト渋谷系と深く関係があるのはナムコの「ことばのパズルもじぴったん」だと思いますし、「パラッパラッパー」「スペースチャンネル5」「テクニティクス」「太鼓の達人」「DJ MAX」、現代であれば「スクフェス」「project DIVA」などの重要な音楽ゲームはあると思うのですが、とりあえず目に見えてクラブミュージックや広く音楽産業に様々な芽を残しているのはBEMANIシリーズかなと思い、こちらを取り上げています。

★作曲:ケン・ウッドマン 編曲:幡谷尚史 「spaceport: introducing ulala!!」(スペースチャンネル5

(1999年発売のSEGAスペースチャンネル5」は英トランペット奏者ケン・ウッドマンの楽曲を使用。「きみのためなら死ねる」「サンバDEアミーゴ」などを手がけた幡谷尚史・「ソニックアドベンチャー」シリーズ楽曲制作の床井健一らが携わっている。幡谷はネオ渋谷系ユニット「セラニポージ」のプロデュースでも有名。)

神前暁ふたりのもじぴったん

(作曲はご存知、現在はアニソン界屈指の天才・神前暁。「もじぴったんうぇぶ」では公式にmp3が配布されており、capsule中田ヤスタカやPSBハヤシベなどのRemixも。)

また、木田俊介や新谷さなえの名前を挙げていたり、後々に捕捉しようと思っていた中田ヤスタカやPSBのポップンへの楽曲提供にも触れ、広くフォローされているように思います。そして、「第2のカラオケとしての音ゲー」に関しては、私個人としては「人が今音楽に何を欲望しているか」「音楽にノる、とはどういうことか」に深く関係する部分だと思いますので、じっくり考えたい部分であります。いずれ、こちらをこそ形にしたいところ。


しかしながら今回は、音ゲーと”版権楽曲の関係”に思うところが多すぎて、思わず筆をとってしまいました。

音ゲーの重要要素である楽曲だが、大部分をEMIのコンピレーションであるDancemaniaから引っぱってきたDDRは別として、基本最初は殆ど内製である。

この指摘は確かに重要で、これを知っているか知っていないかでまた、音ゲー楽曲文化の見方はずいぶん違ったものになると思われます。音ゲー初心者にとって「知らない曲ばかり」というのはハードルですが、これは裏表の関係でもあるのです。ということで、私の見てきたポップン版権事情などについてちょっと書き留めておきたいと思います。




>>>>ポップンにおける版権
ポップンミュージックに大々的に版権曲が収録されたのは、実はポップン6作目になってからのこと。収録曲が「ポップスのパロディ」という傾向の強いポップンであるが、有名人の「ご本人登場」的な意味で言えば、ポップン2に収録されたオリジナル曲「はばたけ、ザ・グレートギャンブラー」(ジャンル名「アニメヒーローR」)の歌唱が水木一郎だったり、ポップン4では所ジョージ作詞・研ナオコ歌唱の楽曲「Nanja-Nai」(ジャンル名「カヨウハウス」)が提供された等の例がある。
しかし、ポップン6の新曲はなんと1/3以上がアニメやドラマやバラエティなどのテーマソング。笑点サザエさん・キャンディキャンディ・ガンダム・ルパン・フランダースの犬etc.…。当時の反応はわからないが、これは大きな変革だったのではないか。ポップン6の稼動日は2001年の5月。初代太鼓の達人が2001年2月の発売なので、その開発を意識されてのことなのだろうか。

しかし、忘れてはいけない重要なこと!それはポップンの版権曲は、太鼓の達人のように”オリジナル音源”が収録された訳でなく、制作側で一度カヴァーされている、ということである。
パーキッツ「すいみん不足」

ポップンの中核アーティストであったパーキッツによる「キテレツ大百科」オープニングテーマのカヴァー。階段譜面が楽しい。)

beatmaniaポップンのようなボタンを押すことによって演奏されるシステムのゲームの場合は、太鼓の達人のように「原曲の上から太鼓の音を被せれば良い」というわけにはいかない(ボタンを押した時に演奏に関連してなる音のことを「キー音」といい、太鼓の達人はキー音があるとは言えないゲームだ)。その制約もあってか、版権を取り扱うのがデリケートだからか、版権曲は独自にアレンジされた形で収録される。だがアレンジャーが誰なのかは曲ごとにあまり明示されず、アーティストは「♪♪♪♪♪」と音符の記号で表示されるだけであることも。ただ、版権が入ったばかりのポップン6公式サイトの楽曲コメントでは、意外と「打ち込みが楽しかったっす」などと赤裸々に話しているところもあり、デビュー前?のwacもここで下積み的に版権曲の編曲を担当していた、ということがうかがえる。
下記に紹介するように、ポップンに収録された版権楽曲は実はさまざまなアレンジが生まれたのであった。

新谷さなえ「タッチ」

ポップン7収録。BEMANIの歌姫ことsanaによる歌唱でアレンジされた「タッチ」。)

★D-Crew+1「ホネホネロック」

ポップン9収録。D-crewこと右寺修によるアレンジ。お得意のハードコア風アレンジで、もはやクラブミュージックと化したホネホネロックが楽しい。)

★NMR「GET WILD

ポップン13に収録。DDRシリーズで活躍したNAOKIによるアレンジ、そしてNAOKIによる歌唱である。)

★♪♪♪♪♪「スーパーマリオブラザーズBGMメドレー」

ポップン14収録。衝撃の任天堂版権曲のアレンジ。しかも、このアレンジは村井聖夜によるコピーで作られており、水中ステージや洞窟ステージ、スターの獲得やボス戦までを含むオリジナルメドレーになっている。太鼓の達人verと聴き比べていただきたい。)
筋肉少女帯大釈迦」(ジャンル名「トラウマパンク」)

ポップン8の隠し曲。本人歌唱の原曲で入った例で、レベル42のEX譜面は長らくポップンのボス曲のひとつとして君臨し、大人気であった。このように「版権扱い」と「提供曲扱い」は実際のところ線引は難しい。)


(余談:版権曲は儚い。版権曲は権利上の関係やゲームの容量の関係で、数作後には削除されてしまうことも少なくない。特にここで紹介した「スーパーマリオブラザーズBGM」などは、収録作の次作であっさり無くなっていた。音ゲーが稼働するときは、「何が削除されてしまうのか」も重要な問題となり、わざわざ削除された曲を遊ぶため、特定のゲーセンに旧作を遊びに行ったりするユーザーもいる。)



>>J-POPが流れ込んだ2008年
ポップンでは以上のように、懐メロ要素が色濃い大衆的アニメ・ドラマ・ゲーム・バラエティの版権曲を毎作コンスタントに収録してきた。これは「ボタンをたたくといろんな音がでてたのしい!!」の原則が適用されていった結果であろう。
しかし、2008年3月稼働のポップンミュージック16PARTY♪では思い切った転換が図られた。「粉雪」「Love so sweet」「月光花」「天体観測」「創聖のアクエリオン」「そばかす」の6曲が収録される。ポップン15以前は意識的に版権曲を”大衆的な懐メロ”やアニソンに絞り込んでいたように思えたが、それに対し、ポップン16を皮切りにして、それ以後ほぼ現在進行形の「人気邦楽曲」が収録されるようシフトしたのだった。(もちろんこれらを「アニソン」「ドラマのテーマソング」と捉えることはできるのだが。)
★♪♪♪♪♪「天体観測」

(「天体観測」といえばギタドラだろう。はじめに紹介したブログにもあるように、ギタドラはライトプレイヤーが「天体観測」をまず最初に遊ぶため、プレイランキングでも常に一位、そしてデモプレイ映像でもこの曲が流れるため、ギタドラに近づくととにかく「天体観測」が聴こえてくるという思い出がある人も、多いのではないだろうか。jubeatの1作目にも収録されており、とにかく根強い人気である。ちなみに、本人歌唱ではなくカヴァー。)


現在ポップンbeatmaniaIIDXのプレイヤー人口をはるかに上回るBEMANIシリーズ人気作「jubeat」初代の稼働が2008年7月。ジュークボックスをイメージされた「jubeat」は他のBEMANIシリーズとは一線を画し、初期からmihimaru GTFUNKY MONKEY BABYSなどメジャーな邦楽曲のほか、インディーズシーンの音楽を多量に収録していた。また、画面に直接タッチするタッチパネル式の音ゲーだということも特筆すべきだろう。J-POPやJロックを多量に収録するという性質から、キー音のないプレイシステムが採用されたのかもしれない。「大衆音楽」の存在が揺らぎ、ボカロや動画サイトブームなどを通したアニソンの消費、数々のアイドルの登場――若者の趣味が広く分散していった時代を、やはりゲームも反映させていたということだろう。
Polysics「I my me mine」

(ゲーセンでポリシックスが流れてきた時にはビビった。ちなみにこれもカヴァー。)

ニコニコ動画β」がサービスを開始したのは2007年。SEGAからPSPソフトの音ゲー初音ミクProjectDIVA」が発売するのは2009年、翌年にはアーケードに進出した。2008年前後は大衆文化と音楽界の変化とも連動して、音ゲーの時代が大きく動いた年だったのかもしれない。ちなみに現ポップンサウンドディレクターのPONがサウンドスタッフとして初参加したのが2008年のポップン16。彼自体の登場が、ポップンに吹き込んだ新しい風という考え方もできるだろう。

なお、収録曲がネットを通じて追加配信できるようになったこと(楽曲更新のサイクルがはやくなった)、jubeat同様に多用な版権曲に対応することなどを考慮してか、ポップン近作では新収録の版権曲や移植曲の一部にキー音がついていない。また、現行のポップンミュージックラピストリアから楽曲のジャンル名を併記するシステムも廃止され、現在が大きな移行と実験の時期であることが感じられる。



その他、「Dance Mania」とDDRの関係、「Exit Tunes」とSound Voltexの関係、音ゲーに初期から渦巻く「クラシックと音ゲーの関係」など、まだまだ様々な切り口はあるのだが、煩雑になっていくので今回はここまで。
★ユニバーサル度胸兄弟「Thor's Hammer」

(クラシック楽曲のアレンジが超高難易度になるのはギタドラでもポップンでもbeatmaniaIIDXでもその他様々な音ゲーにおいて共通であり、興味深い。なお度胸兄弟はwacとL.E.Dの合作名義。)